サングラスとジーンズジャンパーとかかとの厚みが5cm以上もあるブーツをはき、なにやら金属類をジャラジャラと身に着けたロックバンド(ベガーズバンケット)を『間章』が紹介してくれた。 私はステッペンウルフやジェフベックやGFRのポスターなどをやっていたのでそんな彼等のイデタチには驚かなかったが、地方新潟の日常では彼等の雰囲気は完全にはみ出していた。
そのスタイルはずいぶん決まっていたので、デビュー前の東京のロックバンドでも『間章』がつれて来たのかと思っていた。
ベガーズバンケットはそんな勇姿の割にはシャイだった。『間章』の横にいた18歳の彼らは私に会釈はしたが口もきかなかった。 それでもいやみなツッパリは感じなかった。 しばらくして、演奏中に消火器を撒き散らし、その公共ホールから訴えられたと聞いた。
彼らの高校(間章の母校)のバンド時代に突然『間章』がたずねて来たという。 それ以後 『間章』が新潟にいる時や他のイベントの時は常に一緒だった。
『 間さんは、”そんな時” どんな気持ちなんですか?』
と彼らは口癖のように問い続けていた。 彼らは『間章』のあらゆるパホーマンスの時の『気持ち』に接近したかった。 それこそが目の前の『間章』を理解する彼らの確かな手立てだった。 彼らを目の前にして『間章』の衒学的な話し言葉は通じない、解りずらい言葉はさらに突っ込まれて彼らに問い返された。
彼らは自ら近づいてきた不思議な存在、『間章』を直感的に受け入れてはいたが、かかわればかかわるほどその不思議は増え続けた。 彼等はその不思議こそ一番大切なものに感じていたのだろう。
冬でもないのに手袋をしていた。 五本の指先だけ毛糸がなかった。指を食うのを防ぐための手袋だが、結局食いちぎり樹木希林のババ手袋のようになっているのだと彼女が話してくれた。 私も小学生のころは鉛筆の後ろや爪を噛み切ることぐらいはあったが、彼等は指を食いちぎるという。
彼らは道具を媒体せずに自らの身体で自らの肉体を食っていたのだ。その指が出血しても、痛くてもなお無意識に食い続けるという。
『 間さん、 俺たちでもわかる言葉でしゃべってくれ。』と彼らは指先から血を吐きながら何度でも言った。 そのたびに『間章』は自分自身に向き合わざるを得なかった。『間章』は自身の話し言葉をもう一度模索し、反芻しながら誠実に答えようとしていた。
『間章』と連れ立っている彼等は屈託はなく、時々あの黒い巨体とじゃれあっていた。そんな時、『間章』も笑っていたし、寒い駄洒落も言った。
はたして、間章のまわりの他のアーチストや批評家や学者たは『間章の考え』を詮索するが、『間章の気持ち』を本人の目の前で問うた者たちがいただろうか。
ベガーズバンケット、彼らこそが
『 間章の心と、その肉塊 』
へと具体的に入り込もうとした者達だ。
『間章』のがぶりと四つに組んだかかわりは指を喰らうという彼らの自食行為(リスカットイート)を昇華し、 また、彼らは『間章』に短くも深い至福を与えた。
(ベガーズバンケットのことはぼけないうちに何れ・・・・)