白山神社の幻影
(2004/2/5)
家から歩いて二分にある白山神社(新潟市)の境内は白く静かに落ち着いていた。初詣からはや一ヶ月が過ぎた。五十代半ばを過ぎると時のたつのが早い。
この狭い境内にも昔は見世物小屋やサーカスがやって来た。いずれも超マイナーなイリュージョンではあったが、独特の口上とおどろおどろしい看板を小学生の私は毎日あきずに見上げていた。
四年生の夏、坊主刈りの転校生がやって来た。頭は青々と刈上げ、洗濯された衣服は清潔でさっぱりしていた。サーカス一家の少年と聞かされてクラスはどよめいたが、先生の冗談にも笑わず一言も喋らない少年に皆は少し戸惑った。先生は家が近いという理由で私の隣に座らせた。日常が旅の少年のオーラは、明らかに街の子供たちと違っていた。登下校が一緒だった私は少し親しくなったが、笑わず無口な異邦人はやはりクラスで浮いていた。少年の異質な孤独を受け入れる力は幼い私たちにはまだ育ってはいなかった。
学校水泳は、浮きロープで囲われた海のプールで行われた。先生の合図もそこそこにいっせいに飛び込み、泳ぐと言うより波と遊んだ。水泳の試験日、私は片道二十五bのロープにやっとたどり着いたが、最高の生徒は五往復も泳いだ。最後は転校生の少年だった。
皆は興味津々で見ていたが、あっという間に五往復を超えてしまった。見る見る十往復を楽に超え、美しく素晴らしいクロールは先生が制止するまでいつまでも続いた。少年は皆の拍手の中、肩で息をきりながら海から上がってきた。私を見つけ、始めて少し微笑んで横に座った。
少年の名前も覚えていない。さしずめ波の又三郎か、次の日には祭りも終わり境内には何もなかった。今はテントに変わって立派な『りゅーとぴあ』が見える。マイナーで流民の異邦人の代りに春にはメジャーで振付家の金森穣氏が新潟に定住するという。新潟から幻影ではない新しいオーラが立ち昇るのだろうか。
志賀恒夫