黄金の日々
2004/4/15
雨の日は近所の仲間と大きな家の軒下でビー玉遊びやパッチをやって楽しんだ。ぐずぐずとたむろして雨上りを待つ日もあった。背は高かったが一つ年下のターボーという子と一番親しかった。
晴れた日は粗末なグラブとバットを持って二塁のない三角野球をした。本気で走り、微妙なアウトは大喧嘩になった。
日が暮れてコウモリが飛び、汚れたボールが見えなくなるまで遊んだ。たまりかねたターボーの家族がご飯だよと言って必ず迎にきた。 またあしたといってそれぞれの家に帰った。貧しいおかずだったがおいしかった。喧嘩する兄弟がいて親がいた。宿題は少しあったが全てを忘れて布団をかぶった。
虫の音のようなラジオはあったがテレビ放送は無かった。それでも毎日が嬉しく楽しかった。
今日と同じ明日が来ることを微塵も疑わずぐっすりと眠った。
そんな月日は紛れもなく少年たちの黄金の日々だった。
一番きれいなビー玉をガラス瓶に入れ、青空をすかして見ていた。じっと眺めていたターボーは突然宇宙が見えるといった。宇宙など見えるわけは無いと私がわらった。ビー玉が地球でその外側は太陽系でさらに銀河系だと小学生の知識を振り絞って言い争った。じゃあ宇宙の外側はなんだと言ったあとで、湧き立つ入道雲を見つめながらしばらく二人は沈黙した。
その晩もう一度布団の中で考えた。何度想像しても宇宙の果てのまた外側は際限が無かった。めまいを感じ一人身震いしながら目を閉じた。見てはならないこの世の不思議を始めて感じた。
おぼろだが、そんな日を境にして黄金の日々は記憶となった。
皆は月日とともに離れていった。ターボーは飲食チェーンの社長となり活躍したが五十代半ばで突然病で亡くなった。ショックで寂しかったが、当時のことが暖かく甦がえり私を包んだ。
欺瞞と正義が錯綜する哀しみの人の世で、今もあの黄金の日々は静かに私を励まし支えている。
志賀恒夫(ロビンアートスタジオ代表)