シアトルのスーパー
2004/3/04
マリナーズイチローの誕生と同じ年にシアトル近郊のスーパーマーケット数社を見学した。
不振にあえぐ日本の大手、中堅スーパーが視察に来ると言う店だった。
店内は明るさを抑え落着いた雰囲気だった。暖かな薪ストーブの休憩コーナーには、ゆったりとコーヒーを楽しんでいるお客が多くいた。
買い物をしてレジの列に並んだが、ほとんど前に進む気配が無い。イライラしてレジの方を見ると、店員はお客と世間話をしているようだ。次のお客とも何やら楽しそうに長話をしながらレジを打っている。それでも後ろのアメリカ人の客は誰ひとり文句を言わない。少しカリカリしながら横を見ると無人レジマシーンが並んでいた。自分でピコピコと商品をかざし合計を現金で処理した。機械五台を一人でフォローしていたおばさんがOKとウインクした。
ばら物はどんな物でも量り売りで買えるし、対面販売が多く復活していた。レジ係りは常連客確保のため対話を重要視し、多くのファンをつかめばボーナスも上がるという。地域の客や、お年寄りも洒落たおしゃべりを望んでいる。
希薄な人間関係の濃度を上げ、地域の人々の気持ちをつかむ作戦だ。
何のことはない、これは昭和三十年代の日本の何処にでもあった公衆市場のソフトである。
グローバルスタンダードを押し付ける愚かなアメリカではあるが極端な個人主義の反省からか、昔の日本的人間関係の良さを分析し、どん欲に取り入れている。島国の日本社会では暗黙の知恵は文章にする必要はなかった。戦後その多くを捨ててきたが、多民族国家のアメリカがそれらを拾い集め文章化し、実践して成果を上げていることは皮肉である。
県央に本社のある中堅スーパーでそんな話題を持ったが、アメリカと日本では利益率が違うと言われた。低い利幅で戦う日本の過酷な状況を知らされた。しかし、こんな時代だからこそ状況を変える新しいビジョンの方が先だと思うのだが。
志賀恒夫