つきてみよひふみよいむなやここのとを 十とおさめてまたはじまるを
三十歳の貞心尼が良寛の徳を慕って木村家の小屋を訪ねた。留守に置かれたおみやげの手毬と直情の歌に七十歳の良寛が答えた歌である。
新学期には必ずこの相聞歌の話からイスラームの講義に入ったという筑波大学の先生がいた。
新潟市出身で、「悪魔の詩」翻訳後、一九九一年に大学構内で惨殺された破天荒の天才五十嵐一である。
四十歳も年下の勝ち気で美しい貞心尼の好意を目の前にして、私たち凡人のとる態度は三つある。ウハウハとのぼせて身を崩すか、情熱的怒涛のアプローチに辟易して逃げ出すか、三つめは年の差の知識を持って相手を啓蒙し自分は決して変わることのない悟りきったような坊さんや先生の態度だ。
五十嵐一は、イスラームスーフィズムの伝承物語と良寛の詩の中にそれらを超えた人間の姿を著書「神秘主義のエクリチュール」の中で書き遺している。
人はアレフ(A)バー(B)、ひふみよ、から学ばなければならないが、金銭も知識もおよそ身に着くもの。その限界を知り、いつでも捨て去るべきものと放下する心のあり方を説き。また出会いの瞬間に身をさらし自らも変容することをいとわない老体良寛の驚異的一期一会の姿に共感し、そこに、あふれる光を通してイスラームの源泉へいざなっている。
日本のイスラーム理解を十年遅らせた五十嵐一の死は、十三年後の今、イスラーム過激派か、イスラームを貶(おとし)める単独覇権主義の某国工作員のしわざか、迷宮の底にある。