白洋と息子の絵
2004/2/26
新潟市に住む銅谷繁雄さんの描いた二百十五点の風景画をインターネットで見つけた。昭和十(一九三五)年ごろの新潟市近郊を十五歳から十八歳までの若々しい感性で描いている。
その父は画家であり、明治大正の活動写真看板絵師としても活躍した銅谷白洋である。白洋の看板絵(銀板写真)十六枚と新潟名所絵図六双のうち、賑わう明治の旧新潟税関と新堀四ツ橋盆踊りなどの実物を見た方も多いのではないか。
その名所絵図は楽しげな人々を全て空からの視線で描き、また、刃傷(にんじょう)ものの看板絵は人間の極限シーンを等身大の目線で表し圧巻である。おどろおどろしい非現実の看板絵と生き生きとした現実世界の名所絵図は白洋の心的世界ではどちらも重要だった。しかし、その視線はついに統合されることはなかった。
息子の純な視線は日常の表と裏をすんなりと一つに映し、無意識に父を超えていた。
最近、自らのトラウマなどを強調した小説やアートが持てはやされ消費されているが、そんなものの対極としてこの二百十五枚の絵はある。そのどの一枚をとっても、みずみずしい意気込みと、水面や木々や名もない家々の陰影に若き詩人の色が置かれている。
白洋は握り飯を息子に持たせ、「一日一枚描きなさい」と言った。写生が好きだった息子は嬉々としてそれに答えた。
新潟は鉛色の冬の空が有名だが、初夏から秋の深く美しい陽射しにも注目すべきだ。それはゴッホの描く南仏アルルの陽射しに近い。海風が汚れを吹き払い澄んだ光が越後平野に降り注ぐ。
日常で耳を切るゴッホは光を求めていた。黒い影に彩色し、昼のような夜を描いた。
己の生を疑わぬ無垢な少年は目の前の昼の豊かな影を求めた。その影はさらに豊かな光を呼び込んでいる。
存在の光と闇を受け入れ、昭和十年の陽射しの中で飯を片手に心から歌い、舞っていたに違いない。
少年の至福の季節と父白洋の絵は新規オープンする新潟市歴史博物館(みなとぴあ)にある。
志賀恒夫