二十代と五十代の連帯
バブル崩壊から十三年が経った。
「内定済みの会社を訪問すると、社員の目が死んでいるのです。そこを断わって、もっと人間的な会社を探しています」とある大学生が言った。この不景気にずいぶん青臭いと思ったが、東京でフリーターをしている娘の言葉を思い出した。
仕事は好きで熱心に働く娘だが、正社員への誘いを断っている。時々顔を出す統括マネジャーを批評して、「本部の意向を気にして我(われ)を忘れている。かわいそうだ」と言っていた。
昼は上場会社に勤め、夜はショットバーの店長をしていた青年に、昼の仕事をやめると聞かされた。「大企業も倒産するし、中年でリストラされるリスクと水商売のリスクは変わらない、それなら悔いのない道を選んだ」ときっぱりと言った。
「良い時もあった」という世代に属する私は良い時と悪い時の比較から、明日の心配を考えてしまう。
「良いときなど知らない」バブル崩壊以後を生きた二十代は、比較による心配ではなく「本質的疑問と不安」を感じている。そう言うものに正面から向き合い、悩み「目が死んでいる」「かわいそうだ」「悔いのない道」と率直に表現する。
バブルを少し知っている三十代としらけ世代と言われた四十代は不安に目をつむり勝ち組に群がるか、不安を素直に感じた者たちは引きこもる。リストラされた、老い目前の五十代は天命を知るどころではない。あらためて人生の意味と不安に直面し天を仰いでいる。
そんな意味で二十代とリストラ五十代の視線は近い。その心理的連帯は起こるのであろうか。
数値化できない人間の矛盾や不安は企業活動の中では邪魔なものだった。そんなものは帰社後の文学や芸術に任せておけば良かった。
しかし「元気、やる気、本気だ」と叫んでも新しい二十代はもはや動かない。二十一世紀型企業はそんな矛盾や不安を共に感じ引き受けて行かなければならないであろう。
志賀恒夫 (ロビンアートスタジオ代表)